やねうらブログ

節約大好き 中年サラリーマン課長のダイエット日記

就職時に親から購入してもらったスーツ

今週のお題「自慢の一着」

 

■就職時に親から購入してもらったスーツ

私の自慢の一着というか思い出の一着についてです。

それは、就職する時に両親に購入してもらったスーツです。

 

私は広島県出身です。両親は広島で生まれ育ち、就職、結婚と人生において広島から出たことのない両親です。両親の仕事は工場勤務です。貧しくはないですが、決して高収入の家庭ではありませんでした。共働きの2人の収入で世間平均くらいの暮らしでした。

修学旅行以外では私は新幹線や飛行機に乗ったことはなく、滅多に外食もしない無駄遣いや遊びにお金をかけない両親でした。家のローンや私たち子どもへの教育費で余裕もなかったんだと思います。

両親は2人とも高卒で苦労をしているからなのか、私には勉強を頑張り、良い大学に行ってよと、よく言ってました。

 

私は田舎の公立中学校の中では学業成績は良い方でした。田舎なのでそもそも学業レベルはかなり低かったと思いますが大体、150人程の学年の中で3番目くらいの成績でした。部活動も熱心な部活動で全国大会を目指して年中休みなく練習をしておりました。学生時代は我ながら文武とも田舎の中ではそこそこ優秀であったと思います。

 

両親は地元の国立大学に行ってほしかった様ですが、私は大阪の大学に行くことにしました。やはり親元を離れることへの不安や寂しさはありましたが、当時は大きな会社に入りたいとの考えがありました。まだ両親の影響でそれが人生の幸せになるとの考えが主流でした。また、私自身も両親の期待に応えたいとの想いがありました。

特段やりたい仕事とかは考えていませんでしたが、やはり東京や大阪などの都会に行った方がチャンスが多いと思ったのです。

 

大学に入学する際に一人暮らしをするアパートを探しに家族で日帰りで車で大阪に行きました。両親も本人たちの新婚旅行以外で、こんなに遠出をしたことはなかったはずです。将来出来るであろう彼女のことを考え、おしゃれなマンションに住みたいとも思いましたが、両親の家計へ負担をかけることを考えると家賃は少しでも抑えないといけないと思い、大学のすぐ裏にある家賃3万円のアパートにきめました。

両親は5,6万円くらいの綺麗な場所が良いのではないかと言われましたが、学校に近いからここが良いと答えてそのアパートにしました。家賃で気をつかっているとは親には思われたくなかったのです。

 

その後、広島に帰り、入学まで一か月程あるのでお小遣い稼ぎにアルバイトをしておりました。親には遊ぶ金を貯めておくと言ってアルバイトを始めましたが、親からの仕送りを少しでも頼らない様にしたいと考えていたのです。親のことを心配することを出すのが照れ臭いのと反抗期の中で自分の想いは素直に表現出来なかったのです。

もちろん両親には感謝をしていましたが、中学、高校とまとまな会話をした記憶がありません。

 

そして、大阪から帰ってきて2日後にアルバイトから帰ってくると、普段はまだ仕事に行ってる時間であるはずの母親の車が家にありました。

妙な胸騒ぎがしたのですが、家の中に入ると、母親と祖母、弟がリビングにいました。母親の顔を見た瞬間目が赤くなっていることに気づきました。

母親にはよく怒られていましたが、泣いている姿はみたことありませんでした。

父親が脳梗塞で倒れて病院に運ばれたことを知らされました。

 

それから家族で父親の病院に行きました。ベットの上で管に繋がれて父親が寝ています。片目を開けて父親がしゃべりましたが、脳梗塞の影響で上手くしゃべることが出来ず何を言っているかわかりませんでした。

 

病院の先生から説明がありました。脳の大事な場所の近くの血管が詰まっているらしく、どうなるか分からないとのことでした。この2日間くらいが山だと。最悪の事態を覚悟しておいて下さいと言われました。

長男である私は、気丈にしなければならないと思い、泣くことをこらえて、泣いている母親と祖母、弟を励ましました。広島の有名人である樫村キャスターが脳梗塞から復活されていることを知っていたので、そのことを話、大丈夫だろうと家族に言葉をかけました。

帰りに家でご飯を作る気力がないとのことで、餃子の王将に入りました。

皆、食欲が無かったのですが、母親が無理やり頼んだチャーハンと餃子を私たちは食べさせられました。

その晩、母親に大学に行くことを辞めようかと言いました。母親は大阪の大学には絶対に行きなさいと言われました。弟と5,6年ぶりに一緒に風呂に入りました。弟も喧嘩ばかりしていて、この頃はろくに口もきいてませんでした。風呂の中で、両親を頼むと、もし何かあったら大阪から帰ってくるから、私は大阪に行ってくると言いました。

 

父親は幸いに大きな後遺症もなく一か月後に退院出来ました。

この出来事がきっかけで両親への感謝と親孝行を誓いました。

 

大学生活の中で、自分の中でやりたいことが出来ました。親友が出来、笑いの楽しさを教えてもらったのです。元々、目立ちやがりで周囲を笑わせることは好きでした。お笑い芸人を目指してNSCに入ろうと誘われました。

しかし、両親に心配をかけたくないと不安定なその道を選ぶことはありませんでした。

そして、就職活動は早めに動き出し、一部上場企業の大企業から複数の内定をもらうことが出来ました。

安定と自身の成長、そして収入面を考え就職先を決めました。広島の企業も内定はありましたが、両親には言わず、そのまま広島には帰らない道を選びました。

 

そして、就職前に大学生活を過ごしたアパートを出て、一度広島に帰りました。

そこで両親に就職用のスーツを買ってもらったのです。大阪で過ごしていたのでおしゃれな都会のファッションビルでスーツを買いたい気持ちもあったのですが、両親に連れられて、紳士服の量販店に行きました。そこでスーツを3着買ってもらいました。安いスーツで十分と伝えたのですが、「大企業で安いスーツじゃ、出世 出来んけえ、いいスーツ買いんさい」と我々からしたら高額の8万円のスーツを買ってもらいました。その店のスーツで最も高い方の部類であったと思います。

 

 

あれから15年以上経った今、その最も高い一着はぼろぼろになり、今ではサイズも合わず着ることは出来ませんが、まだクローゼットにおいてあります。

 

一度、転職はしましたが両親からすると想像出来ない大企業で、そこそこ活躍出来ていると思います。TOPセールスを何回か取り管理職を現在しています。両親に胸をはれる仕事をしていると思います。今はチャレンジしたい仕事もありますが、両親・家族もいる立場なので現在の職務で頑張っていこうと思います。

私の負けん気と根性は、両親への想いが根底にあると思います。これは周囲の人には言えませんが。まあ、今は根性論で仕事をする時代ではありませんが根底にある物事への取り組み方としては重要であると思います。

 

また、周囲への感謝が出来ない人間は、仕事もうまくいきません。仕事だけでなく、家族、仲間、友人に対して些細なことでも感謝の気持ちは忘れてはなりませんね。

(自戒も込めて)

 

両親は今も元気です。父親は死ぬかもしれないと言われた病気をしたとは思えません。

いまだに感謝の気持ちを伝えるのは照れ臭いです。コロナの影響でGWは帰省出来ませんでしたので、明日は何かしらの連絡を入れてみようと思います。